論語から『信頼』の大切さ
論語から学ぶ
「子曰く」の前フリでおなじみの論語。覚えてますか?
これから学ぶよって人もいるかな。
さつばつとした世の中で、まだまだ大切なことを教えてくれてます。
国語のテストではないから、だいたいの意味を感じておく程度。
ふとした瞬間に思い出せれば十分ですよ。
原文
子曰、人而無信、不知其可也。
大車無輗、少車無軏、其何以行之哉。
書き下し文
子曰く、人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり。
大車輗(げい)なく、少車軏(げつ)なくんば、其れ何を以てこれを行(や)らんや。
意味
先生がおっしゃるには、
「人は信頼がないと何をやってもダメだよ。」
「(信頼がないということは)牛車に輗という部分がなく、馬車に軏という部分がないのと同じで、逸る牛や馬の首を抑えて走らせることができないよ。」
捕捉
牛車の輗という部分、馬車の軏という部分は、牛車や馬車を御するためにはとても大切な部分。これがないと安心して御せないよ。
経験から
「あの人の言うことなら大丈夫だ。一緒にやろう。」
「あいつは信頼できないから、命令でもやりたくないよ。」
という風に、
その人から感じとる雰囲気や、
これまでの付き合いでわかった人間性などで、
その人の『信頼』が判断され、
人が動いてくれたり、反抗されたりするのです。
大切なこと
これから大切なことを知るんだね
『信頼』とは、
その人が人生を誠実に歩み、学んで、培った人間性や人格。
それが体からあふれ出している気のようなもの。
カリスマ性。
人はそのあふれ出している気や人間性を信じて動いてくれる。
『信頼』があふれ出している人には
多くの人が集まり
『信頼』が薄い人には
人は従わず
人が離れていく。
『信頼』感のあふれ出るカリスマ性を身につけよう。